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古代オリンピックTOPICS!【終了】 アテネ・オリンピック開催にちなみ、古代オリンピックのエピソードを紹介します。 ▼古代オリンピックが始まったのはいつ? 紀元前776年が第1回の古代オリンピックとされている。古代でも4年に1回が習わしだった。会場となったオリンピアは、ゼウス神の聖域。古代のオリンピックは神を称える祭典の一環として行われ、競技と一緒に牛を殺して神に捧げる儀式などがあった。 ▼誰が参加していたの? 参加資格は、ギリシャ市民の男子であること。といっても、当時のギリシャはあちこちに植民地を作っていて、スペインやエジプト、トルコのほうからも参加者があったので、地中海一帯の人々が集まる国際色豊かな祭典だった。 ▼どんな競技があったの? 現在で言う100メートル走のような、陸上競技が中心。古代ギリシャでは「1スタディオン」(約191メートル)がひとつの単位で、走る距離は1スタディオン、2スタディオンというように決められた。現代には1人で射撃、フェンシング、水泳、馬術、ランニングをこなす「近代五種」という競技があるが、古代にあった元祖の「五種」(パンタスロンという)は、短距離競走、幅跳び、円盤投げ、槍投げ、レスリング。 ▼有名な選手っていたの? 古代の文献などに載っている最も有名な選手は、「クロトンのミロ」。南イタリア出身のレスリング選手で、6連覇を遂げたという記録がある(4年おきだから、24年間無敗!?)。崩れ落ちそうになる屋根を支えて数学者ピタゴラスを救ったとか、森の中で木の幹に手をはさまれて動けなくなり、野獣に食い殺されたといった不思議なエピソードの持ち主で、後世にもその彫像が作られた。 ▼金メダルってあったの? 古代には金銀銅のメダルはなく、勝者に贈られるのはオリーブの冠だけ(儀式に使った牛の肉をもらえることなどはあった)。ただし、現在と同様、故郷の代表として出場するという意味合いが強かったので、優勝して有名になって帰ってくると、あとは一生困らない生活が約束されるといった、元共産圏の国のようなことが起こっていたらしい。 ▼聖火リレーってあったの? 聖火リレーは、1936年のベルリン・オリンピックから始まったもの。ただし、たいまつをリレーするという習慣は古代のギリシャにもあった。現代の聖火リレーでは、オリンピアにおいて太陽の光で火をおこすという採火式が行われている。この火を消さないようにしつつ世界各国を持ち歩き、毎朝リレーランナーが持つトーチに火をともすのだとか。 ▼選手はみんな裸だったの? 元は服を着ていたのだが、あるとき下着をなくした選手が裸で走って勝ったところ、それをまねてみな裸で競技するようになったという言い伝えがある。以前から裸で競技をする習慣のあったスパルタ人の影響によるものとも。ギリシャでも冬は寒いので、競技は暑い夏の時期に行われていたようだ。 ▼女性は参加できなかったの? 男性に混じって競技をすることはなかったが、女神ヘラをたたえる女性のためのオリンピックがあった。ただし、参加できたのは未婚の女性だけ。未婚女性は男子のオリンピックを観戦することもできたが、既婚女性は会場内に入ることすら禁じられた。(ギリシャは極端な男性社会で、既婚女性は普段家にこもっていて、街を歩くことすらまれだったという話がある) ▼八百長はなかったの? 戦う相手を買収しようとした選手は結構いたようだ。不正をはたらいたことがわかると罰金を取られたが、その罰金は、不正者の名を刻んだ神像を造るのに使われた。つまり、不名誉の証が後世にまで残ることになったのだ。実際、不正を行った者の名前は、2000年以上経った現代にまで伝わっている。 ▼戦争で中止になったりしなかったの? オリンピックの会場だけでなく、ギリシャ各地を旅して会場にやってくる人たちの安全を守るため、オリンピックの期間中は、ギリシャ全土で休戦協定が結ばれた。開催時期になると、オリンピックの主催都市であるエリスが全国に使者を飛ばし、休戦を呼びかけた。スパルタがこの休戦期間中に軍事演習を行ったところ、その年の参加を拒否されたという話がある。
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